さて、今回はジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の名盤アルバム、名曲を紹介した記事になります!
この記事はジミ・ヘンドリックスの紹介、その名盤アルバムやおすすめの名曲を紹介した内容となっています。
最高のロックギターヒーロー ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)は1942年ワシントン州シアトル生まれです。
20代前半のころはバックミュージシャンとして活動し、1966年にイギリスに渡ります。
ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)らと共にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成して活動していきます。
1967年にはアメリカのモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演して圧倒的な演奏とギターを燃やすパフォーマンスでアメリカでも人気を獲得しました。
1969年にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを解散後はビッグバンド編成のジプシー・サンズ&レインボウズを結成してウッドストック・フェスティバルに大トリとして出演してウッドストックの時代を象徴する存在となりました。
1970年に睡眠中の嘔吐が原因で急死してしまいますが、死の真相については様々な憶測があります。
死亡した年齢が27才であったことから同時期に活躍し、同じく27才で死亡したジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズらと共に27クラブという俗称で呼ばれることがあります。
ジミ・ヘンドリックスのサウンドと演奏は非常に独創的で、未来からタイムスリップしてきたのではないかと思えるほどです。
同時期にイギリスで活躍したエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ピート・タウンゼントなどもジミ・ヘンドリックスの演奏には驚愕したそうです。
未だに偉大なギタリストといえば必ず名前の挙がる最高のロックギターヒーローです。
個人的にジミ・ヘンドリックスの音楽は年齢を重ねるごとに凄さを感じ、素晴らしく思えるようになっていきました。
ジミ・ヘンドリックスに限らず27クラブと言われるミュージシャンの音楽はこういったところがあるのが不思議です。
ジミ・ヘンドリックスの使用ギター
ジミ・ヘンドリックスはフェンダー ストラトキャスターを主に使用していましたが、右利き用のギターを逆にして左利き用としていました。
そうすることでコントロールノブやトレモロアームが上にくるので、独特な操作や演奏の一因となったという説もあります。
この形に慣れていたために左利き用のギターはうまく扱えなかったという話もあるようです。
トレモロアームも独創的な使い方をすることにより、革新的なサウンドを生み出しています。
サウンドだけではなくアクションも多彩で、背面弾きや歯でギターを弾くというところも見ものです。
エフェクターも多様することで知られており、特にファズを使用することで独創的なサウンドを作り出していきました。
ジミ・ヘンドリックスの名盤アルバム、名曲を紹介
では、ジミ・ヘンドリックスの名盤アルバム、名曲を紹介していきます!
アー・ユー・エクスペリエンスト?(Are You Experienced?) 1967年
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのファーストアルバムであるアー・ユー・エクスペリエンスト?は名曲揃いの名盤です。
このアルバムでジミ・ヘンドリックスは衝撃のデビューを飾りました。
ジミ・ヘンドリックスの凄さはもちろんですが、バックを支えるノエル・レディングとミッチ・ミッチェルも見事です。
特にミッチ・ミッチェルは個人的に好きなドラマーです。
フォクシー・レディ(Foxy Lady)、レッド・ハウス(Red House)、メイ・ディス・ビー・ラヴ(May This Be Love)、サード・ストーン・フロム・ザ・サン(Third Stone From The Sun)などが収録されています。
CDではボーナストラックでシングルとして発売されたヘイ・ジョー(Hey Joe)、パープル・ヘイズ(Purple Haze)などが収録されています。
パープル・ヘイズの映像です。
アクシス:ボールド・アズ・ラヴ(Axis: Bold As Love) 1967年
セカンドアルバムのアクシズ:ボールド・アズ・ラヴはアー・ユー・エクスペリエンスト?に比べてスタジオで作り込まれた音が主体となったアルバムです。どこかエモーショナルな印象があるのも特徴です。
スパニッシュ・キャッスル・マジック(Spanish Castle Magic)、リトル・ウイング(Little Wing)、キャッスル・メイド・オブ・サンド(Castles Made Of Sand)、ボールド・アズ・ラヴ(Bold As Love)などを収録しています。
シーズ・ソー・ファイン(She’s So Fine)はノエル・レディング作でボーカルも務めています。
エレクトリック・レディランド(Electric Ladyland) 1967年
3枚目のエレクトリック・レディランドはレコードでは2枚組の大作で、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの集大成ともいうべき名盤です。
ジミ・ヘンドリックス最後のスタジオアルバムとなりました。
アル・クーパーやスティーヴ・ウィンウッド、デイヴ・メイソン、クリス・ウッド、ブライアン・ジョーンズ、ジャック・キャサディなどがレコーディングに参加しています。
クロスタウン・トラフィック(Crosstown Traffic)やセッションをそのまま納めたヴードゥー・チャイル(Voodoo Chile)、ノエル・レディング作のリトル・ミス・ストレンジ(Little Miss Strange)、アール・キングのカバーであるカム・オン(Come On)、ボブ・ディランのカバーでボブ・ディラン自身の演奏にも影響を与えた見張り塔からずっと(All Along The Watchtower)、ライブでも多く演奏した名曲のヴードゥー・チャイル “スライト・リターン”(Voodoo Chile “Slight Return”)など聴きどころの多いアルバムです。
イギリス盤のジャケットは複数の女性ヌードで、アメリカ盤のジャケットは加工されたジミ・ヘンドリックスの顔写真となっていました。
ジミ・ヘンドリックスはイギリス盤のジャケットを嫌っていたようで、基本的にアメリカ盤のジャケットが使用されています。
バンド・オブ・ジプシーズ(Band Of Gypsys) 1970年
バンド・オブ・ジプシーズはザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの解散後に結成されたバンド・オブ・ジプシーズの1969年大晦日、1970年元旦に2日間行われたニューヨークのフィルモア・イーストでのライブを収録したものです。
このアルバムは1970年元旦に行われた2回のステージから収録されています。
バンド・オブ・ジプシーズのメンバーはベースにビリー・コックス、ドラムはバディ・マイルスと黒人のプレイヤーです。
そのせいかバンド・オブ・ジプシーズの演奏には黒いフィーリングを強く感じます。
ジミ・ヘンドリックスのギターサウンドを堪能することのできるマシン・ガン(Machine Gun)や恋のメッセージ(Message To Love)、バディ・マイルス作のチェンジズ(Changes)、リヴ・トゥゲザー(We Gotta Live Together)も聴きごたえ十分の素晴らしいライブアルバムです。
バンド・オブ・ジプシーズはジミ・ヘンドリックスが生前にリリースした最後のアルバムとなってしまいました。
ライヴ・アット・ウッドストック(Live At Woodstock) 1999年
ライヴ・アット・ウッドストックは1969年に行われたウッドストック・フェステティバルでのライブを収録したものです。
大トリでの出演だったジミ・ヘンドリックスですが、予定がどんどん押して演奏を始めたのが朝の9時という状態でした。
ジプシー・サンズ&レインボウズという編成での出演だったのですが結成して間もなく、準備も不十分だったせいもあり、ジミ・ヘンドリックスのギター、ベース、ドラムしかほとんど聴こえないという状態となっています。
ジプシー・サンズ&レインボウズのメンバーはビリー・コックス(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)、ジュマ・サルタン、ジェリー・ヴェレス(パーカッション)、ラリー・リー(サイドギター)です。
ジミ・ヘンドリックスの代表的な曲がある程度網羅されているのに加えて、アルバムに収録されていないヒア・マイ・トレインAカミン(Hear My Train A Comin’)、ラヴァー・マン(Lover Man)、、イザベラ(Izabela)、セッションのジャム・バック・アット・ザ・ハウス(Jam Back At The House)、ウッドストック・インプロヴィゼイション(Woodstock Improvisation)、ヴィラノヴァ・ジャンクション(Vilanova Junction)を聴くことができます。
アメリカ国家をアレンジした星条旗(Star Spangled Banner)はハイライトのひとつで、ロック史に残る名演と呼ばれています。
当時泥沼化していくベトナム戦争にイメージを重ね合わせると何とも言えない迫力を感じます。
ここまでジミ・ヘンドリックスのアルバムを紹介しましたが、これがこれからジミ・ヘンドリックスを聴いてみようと思う方の参考になれば幸いです!
Youtubeの動画でジミ・ヘンドリックスのギターフレーズを紹介したりもしているので、ギターが好きな方は是非ご覧になってみて下さい!
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